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丹波村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
丹波村(近世) 江戸期~明治6年の村名三河国加茂郡のうち矢作【やはぎ】川支流丹波川中流域に位置するはじめ岡崎藩領,宝暦12年上知されて幕府領になったと考えられ,安永7年からは旗本久世氏知行村高は,「寛永高附」89石余,「旧高旧領」では西丹波村と見え64石余「元禄郷帳」「天保郷帳」には当村名が見えず,苅萱【かるかや】村のうちに含まれていたものと考えられる字宮前に嘉元3年に勧請したという鎮守神明神社があるなお,岩下村の鎮守熊野神社の慶長7年~寛政8年の棟札には岩下村・丹波村惣氏子と見える字宮前に阿弥陀堂がある明治6年西丹波村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
丹波村(近世) 江戸期~明治初年の村名三河国加茂郡のうち足助【あすけ】川の支流菅生【すごう】川流域の山麓の傾斜地に位置する慶長5年から旗本鈴木氏知行なお,明治2年からは重原藩領村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに37石余なお,「旧高旧領」では東丹波村と見える天保9年の賀茂郡九ケ村明細帳によると,反別3町余(田1町余・畑2町余),年貢15石余,家数10・人数42,御藪1か所,百姓持山4か所,産神宮・山ノ神小社・大日堂がある(足助町深見家文書)村社は白鳥神社明治初年東丹波村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」